わたしたちの教会は、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたをやすませてあげます」の聖書の言葉を大事に、山形市で50年近く活動しています。この間、深い悩みを抱えた方、心が疲れきっている方、自分の弱さをどうしても克服できない方、さまざまな方がお見えになりました。
わたしたちはそれらすべての方に、「神様があなたを大切に思っておられる」ということをお伝えしています。
日本中が寒波と大雪の一週間でしたが、日曜日は晴れて、雪道を遠く村山からも出席されました。
2023年1月29日(日)礼拝
「その水を私に下さい」
ヨハネの福音書4章1~22節
ヨハネの福音書を読むと私たちはイエス様が歩まれた、時代と場所に連れて行ってくれます。楽しみです。今日はサマリヤの女の話です。
サマリヤを通らざるをえず
ユダの人々はヨルダン川沿いにガリラヤ湖畔のカペナウムに行きます。
でもこの時はサマリヤを通らざるを得なかったのです。ユダヤ人を敵対しているサマリヤを通らなければならなかったのです。
そのように、わたし達の人生もしばしば回り道をしたり、自分の思いどうりに行かない時があります。
でもそこにも深い神の御心があります。
サマリヤの女との出会い
暑い日の光を受けながら、サマリヤまで来ました、弟子たちは昼食を調達しに町の中に行きました。イエスは一人、スカルの井戸の傍らに腰を下ろしておられました。そこに水瓶を頭に乗せ、水を汲みに女が来ました。イエスは、「わたしに水を飲ませて下さい」と言いました。。
女は「サマリヤ人の私に水を求めるのですか」と。イエスはさらに「水を下さいと言っている者がだれかが分かったら、あなたのほうから水を求めたでしょう」言われました。
女は最後に「その水を私に下さい」と言いました。
動機は純粋でなく、求め方が違っていても、主イエスに「わたしにその水を下さい」と言った、このことばを信仰のことばとして受け取ってくださいました。
そして、「行って、あなたの夫をここに呼んできなさい」これに女は「わたしには夫はいません」と言いました。女にとって一番に痛い所、この為に自分が不自由な生活をし、肩身の狭い生き方しかできていない。誰からも触れられたくない所に主イエスは入って来られたのです。
サマリヤの女はイエスにお逢いして、ありのままの自分を知り、しっかりと罪に目を向けたのです。
「いのちの水の泉」はいつでも自分の罪を告白する所から始まります。
サマリヤの女と礼拝
このサマリヤの女は礼拝に対する疑問を持っていました。イエスを特別の人と認めた彼女は礼拝について質問をしました。
イエスは礼拝は「場所ではなく、霊と真実をもって礼拝する時が来ました」と告げました。
私たちも教会の礼拝だけではなく、場所、時間を越えて、個人でのリボーションを大切に、日々の礼拝を個人でも守りたいと思います。
主イエスは遜って私たちに近づいて下さいました。そして「そのいのちの水を下さい」と言うようにして下さり。罪を知らせ、そして礼拝をと
導いてくささいます。
いのちの水の泉が心の中に与えられました。
聖書の学び・・・2月1日(水)午後1時30分
3~4人で聖書の学びです。気軽においでください。
今はマタイによる福音書11章の学びです。
コーヒータイムや楽しいおしゃべりの時もあります。
祈り会・・・・2月1日(水)夜7時・・・・・・・・・・
旧約聖書から祈りの学びです。
楽しい讃美歌、心を込めた祈りの時もあります。
礼拝・・・・2月5日(日)朝10時15分
「ベテスダの池の病人」
ヨハネ5章1~18節
礼拝後はみんなでゴスペルタイムを持ちます。
教会は3密を避け、マスク着用、玄関での消毒、30分ごとの換気をしながら、隣の人との座席を空け、密にならないように集会を守っています。 お気軽にお出かけください。
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どの集会もお気軽にお出かけください。また、普段の日でもいつでも御自由にお出かけください。 おいしいコーヒーもあります。
個人的に聖書の学びもできます。ご連絡くだされば個人的な聖書研究もできます。お気軽に。お電話下さい。
教会は心のオアシスです。